称号

おかげさまで鼻血がでるほど忙しい毎日を送っている。事務所のスタッフは「今、何が一番欲しい?」と聞けばおそらく全員「睡眠」と答えるに違いない。笑い声などとともに盛り上がったかと思えば、睡魔が襲っているであろうしーんと静まりかえってことさらマウスのクリック音やキーボードを叩く音が大きく聞こえてくる時がある。一日の中でもそういう波が何度も繰り返される。均一に流れているのは「眠い」という空気(笑)。こんな瞬間だからこそ、それぞれのその人の「根性」が実にわかりやすく見て取れる。大変な仕事を額面通り大変そうに仕事をする人。きっと疲れきっているだろうに、目の下にクマをつくりながら笑っている人。ただただ黙々と進める人。デザイン業にかかわらずこういった突貫仕事は誰もが経験していることと思う。こういうある意味「極限」な状態になって、それを越えてすっかり終わって打ち上げでもやっている頃、ほんの少し、チームの空気が変わっていることに気づく。やはり、誰が見ても大変な大仕事をし終えた人やチームには「頼もしい」雰囲気が漂う。頼もしいというものは一つや二つの仕事をこなしたくらいでは得られるものではない。ましてや、ぶつぶつと小言を言いながらやってしまったあとには終わったには違いないが、この「頼もしい」という称号は与えられない。創業以来ずっといるスタッフは「この忙しさ、もしかしたら創業以来一番かもしれない」とつぶやくほどの今。僕の周りには「頼もしい」称号がたくさん並べられている。スタッフに恵まれるというのはこういうことなんだと噛み締めている。

1000通の年賀状

年賀状のことを思い出している。今年、僕は1000通近い年賀状にそれぞれコメントを書いた。「また、是非、会いましょう!」といった類だ。しかし、正直なところ、その1000通つまり1000人近い人数の顔や人となりをじっくりと思い浮かべて書いていたわけではなく、いわば流れ作業的に次々に書いていた。もちろん、書いている約1分程度、その人の事を思い出している。でも、1分足らずだ。そうでもしないと終わらない数にやむを得ないでやっていた。そして2ヶ月が経ち思い返している。そして、反省している。自分には1000人近い人と知り合っているというなんだかよくわからない優越感のようなものがそこにあって、そういう言ってしまえば人脈が広がっている実感をただただ味わっているだけのような気がした。なんて失礼で、自分本位な年賀状だったのだろうと反芻し、反省している。もともと、年賀状には妙なこだわりがあった。年に一回くらい肉筆で手紙を送ることに憧れもあったし、お世話になった方々に肉筆でありがとうを伝えたかった。いつのまにか1000人という人数になって、いつのまにか流れ作業をしなければままならない事態になって、疑問も持たず、ひたすらこなして発送して、そしてどこか達成感すら味わっていた。おかしな「こだわり」と年賀状という姿に換えた「優越感」。いつのまに自分の価値観はこうもみっともない姿になっているのかと呆れている。僕がお世話になっている生命保険の担当者は誕生日にいつも手紙をくれている。もちろん肉筆で。聞いたところによると顧客はもう数百人にのぼっているという。そのそれぞれに手紙を送っている。頭が下がる。肉筆で多くの人に手紙を送っていてすごい!という話ではなく、それぞれの「つきあい」の濃密さ、丁寧さに頭が下がる思いがする。「ひとのつきあい」を間違いなく軽んじてたと思う。余った年賀状の束を見ながら、来年の年賀状は心を込めて書こうと素直に思った。そして、そうしてひとりひとりに違ったトピックを語れるほど濃密で丁寧なつきあいをしたいと思う。まずは自分の姿勢を正したい。

落語とVJと今の展示映像

久しぶりに展示映像の企画をたくさん考えている。去年は、プレゼン映像とTVドラマの映像デザインにどっぷりと浸かったような一年を過ごし、すっかり映像を使った展示というものから遠ざかってしまった。僕の展示映像のルーツは何を隠そう「落語」だった。ソニーが協賛し、銀座のソニービルを使って「SOMIDO寄席」と称して落語の高座を企画し、さらにその落語の舞台には巨大なスクリーンを設置して、当時では珍しいハイビジョンの映像を落語の噺に合わせてリアルタイムに映像を切り替えて背景に流した。さしずめ落語のVJといったところ。今から15年近くも前の話だ。15年前に音楽業界のライブではジェネシスがワールドツアーで大体的にハイビジョンをステージに持ち込んで話題になっていた。当時の日本はやっと、クラブでVJがちらほらと出てきた頃。かくいう僕も1992年頃はニューヨークでVJをやっていた。そんな、VJというカルチャーとコンサートステージのハイビジョン。そして、目の前で企画に参加した「落語」。ジェネシスに対抗して、そしてVJのセンセーショナルを落語に持ち込んだ。そんな、ハイセンスな落語は1993年くらいから2年くらい、月イチのペースで開催された。今でも面白い企画だったと思い出す。そういう感覚を、じわっと思い出しながら、今、展示映像を考えている。さて、何を持ち出そうかと。きっと周りに聞いたら「今やるなら3D映像デショ」って云われるに違いない。あまのじゃくな僕はそうは素直に考えない(笑)。ひねくれものの考える展示映像はいったいどんなものか、そのアイデアを実は一番楽しみにしているのは自分本人なのかもしれない。

社長をやめます。

僕は近いうちに社長というポジションを誰かに委ねたいと思っている。10年近く、副社長や社長というポジションを兼任してきた。兼任というのは、時にディレクターとして、時にプロデューサーとして名刺交換し、現場の人間としてほとんどの仕事に携わってきたからだ。おそらく、一緒に仕事をしたクライアントの中には僕が社長だということに気がつかなかった方もいるのではないだろうか。そうして、なんだか社長を続けてきて自分の本当の興味というものが見えてきた。その興味の中に「経営」というものは確かにある。ただ、ここには「興味がある」というだけで、寝食を忘れるほど興味があるかといえばそうではない。むしろ、ディレクターとしてひとつの仕事に向かっている時などは社長失格な日々を送ってしまう。それこそ、寝食を忘れて仕事をしてしまう。そんなことをしていたら将来のビジョンもへったくれもないのだ。社長という存在は、ただどっしりと構えていればいいものではない。どっしりしながら、一方で細やかな配慮や、データなどに基づく戦略を考えなければいけない。つまり、大きな器でなおかつ、器用じゃなくてはいけない。僕は、からきし不器用だ。ゆえに、問題なのである。目の前に広げられた風呂敷とにらめっこしながら「うーむ、はて、どうやってこれを攻めていこうか」なんて難題をどう克服するかなんていうのを考えるのはどうやら好きみたいだ。けれど、その風呂敷自体を広げる側にたつ時、途方にくれてしまう。ん、向いていないのだ。今年になるか、来年になるか、まだ決めていないけれど、社長をやめる。僕は、ひとりの現場のディレクターとしてあと10年くらいやってみたくなった。20代の頃の仕事の仕方をやってみたくなった。目の前のものを片っ端からこだわりぬいてみたくなった。不器用に、目の前のものだけを。

犬といのちとハイチと毎日

先日、知人の石黒さんの家のセンパイ(石黒さんの愛犬)を一晩預かった。その時に石黒さんから一冊の本をいただいた。渡辺眞子さん、山口美智子さん、石黒さんが作った本「犬と、いのち」。表紙の可愛らしい写真や丸ゴシック体のタイトル。その装丁からは、その後に続く内容におおよそ結びつかない愛らしさが漂う。そして、読んだ。読後、僕は何故か先だっての「ハイチ義援金」を思った。話は犬から少しそれる。僕はこの日記のほかにTwitterをしている。先だって起きたハイチでの出来事。僕のTwitterには、リアルタイムに地球の裏側で起きているその凄惨な事に「義援金を!」「クリック募金を!」と次から次へつぶやきが入ってきた。中には本人には自覚がないであろう、軽率なことととれるような言葉も入ってくる。ジャーナリストとして仕事をしている方が「これはヒドイ!」なんてわざわざWebからコピーした写真を添付してまでつぶやいているのを見て、さすがにいたたまれずフォローをはずした。僕は、以前仕事でハイチを訪れている。その時は政治も不安定で極度のインフレ状態にあったが、そんなことはおかまいなしに南国特有ののびのびとした雰囲気に羨ましいとさえ思ったほどだ。宿泊していたホテルのすぐ近くに、朝から晩まで椅子に座って歌を歌っていたおじいさんがいた。何度か話した。言葉はよくわからなかったが、大笑いして一緒に果物をたべた。そして、今回の災害。僕は何もできない。たくさんのいい思い出があって、いかんともしがたい思いに駆られながら、何もできない。ニューヨークのテロの時もそうだった。何年も住んでいて、街の隅々に思い出が残っている場所で起きている未曾有の出来事に、僕は何もできなかった。話を「犬と、いのち」に戻したい。たくさんのペットが捨てられているということはこれまで何度も報道などで耳にしている。ほんの少し頭を働かせれば、その捨てられたペットがその後どういう末路をたどるのか、想像できる。僕は思う。人はできることはたくさんあるけれど、一方でできることは限られてもいる。僕の家には猫がいる。家に行くと、ちょこんと玄関に座って「おかえり」と言っているような気がするほどの愛しい姿だ。子どもたちも出迎える。会社に行けば待ってましたとばかりに次から次へ進捗の仕事のファイルを持ってくる。大学に行けば教え子たちにあれこれと質問攻めにあったりする。この本を読んで、身の回りの、ひとつひとつを大切にしようと思う。ショックを受けるであろう文章や写真も目をそらさずに多くの人に読んでもらいたいと心から思う。ハイチにもニューヨークにも何もできないけれど、迎えてくれるたくさんのことには優しく答えることはできそうだ。僕らは優しくなれる想像力を持っている。そして、それらひとつひとつを毎日、大切にすることはできそうだ。渡辺さん、山口さん、石黒さん、いい本をつくってくれてありがとう。