ひと論

12月 16th, 2011 § コメントは受け付けていません。 § permalink

昨晩(というか朝w)、講演のスライドをまとめながらふと自分を振り返ってみた。会社員でいた頃はよくわからなかったけど、独立したりした後は何かと「ひと」について喜んだり、悩んだりした。自分が社長なんていう立場になってしまうと基本的にスタッフはみな「従業員」で、利害関係がある。できるだけ計算の無い仲間意識で望んでも、どこか「お給料を決める側」「評価される側」という関係があって、うっすらと壁のようなものがある。よく「社長は孤独でなければいけない」と言われるが、生まれてこのかた兄弟のいないひとりっ子の自分には、この「孤独」が一番キツい。とりわけ、スタッフが次のステップを踏み出そうと、自分の会社を辞めるなんていう場面はポーカーフェイスでいられない。14年くらい社長をしているけど、ここはいつまでたってもドライになれない。でも、35歳を過ぎたあたりから少しオトナな考えが芽生えた。離れていくスタッフの背中を見て、本心から成功を願うなら、その瞬間、ものわかりのいい「いい社長」を演じるより、その瞬間は冷たく接しながら、一生少し離れた場所から見守るのがいいんじゃないかと。この考えは、教鞭をとっている大学での学生たちにも同じように接している。「ひと」に支えられてこれまでやってこれた自分が自分の時間をどれだけ「恩返し」に使えるかと思ったとき、そこにあるのはもう「自分が持ちうる時間」つまり一生を捧げることなんじゃないかと。毎年、この時期には1000通近い年賀状を書き、一年を通して「飲み会」なるものは元上司か、つきあいの長くなった以前の同僚や以前の部下、後輩のスタッフや教え子達ばかりだ。今日はいつもとはちがう大学で講演をする。「ものづくり」というテーマなのだが、きっと「ひと」の話ばかりになると思う。精神論はいつだってやっかいなものだけど、そこに喜びや達成感があるとするなら、素直に僕は論じたいと思う。精神論なんていうアカデミックなものじゃない。ひたすらアナログな「ひと論」という感じかな。

3億年

12月 9th, 2011 § コメントは受け付けていません。 § permalink

「節目」といえる時が数年に一回はやってくる。そのタイミングを前もって予測することは残念ながらできなそうだ。そして、その節目はその後の数年間、場合によってはおそらく死に際まで影響しそうな句読点になる。今年はまぎれもなく「節目」だったように思う。去年の年末、僕はグランド・キャニオンへ行った。本来ならば夏場に行くような場所なのだが、どうしてもその時期に見たくなってしまった。3億年かけてできた大きな溝を見下ろしながら、思った。「時間は雄大だなあ」と。どうあがいても、7-80年くらいしか生きられないような僕の持ちうる「時間」を遥かにしのぐ流れがそこにあった。なんというか、圧倒的だった。そして、そのスケールはマイナス23度の風の中で僕の体の隅々まで行き渡るように感じた。こうして今年が始まった。目の前のことをこれまで自分でも経験が無いほどまっすぐに向かった。なにも疑わず、なにも計算せず、こうしたいと思うことを素直に実行し、時には他人の話に耳を傾け、また考えて、実行した。いままでのように少々のことでグチをこぼしたりすることを一切やめた。春には震災が起きて、また考えた。仕事では思いもよらない評価をいただいて、広がりはじめた。でも、そういうこと=過ぎたことを一切忘れることにした。ただ、前だけを見ることに徹した。弱気になりそうな時には、iPhoneに入れてあるグランドキャニオンの写真を眺めては、体内に潜んだ「雄大さ」を呼び起こした。もうひとつわすれてはならないものがある。「節目」には必ず、仲間がいた。助けられたり、元気をもらったり、と時間を共有する仲間がそこにいる。出会いというものはせつなくて、それでいてかけがえがない。今日、そんな、かつて時間を共有した仲間が呼んでくれた講演に出演する。しかも故郷でだ。また、きっと忘れられそうにない時間を共有する。たった数時間の時間だったとしても、僕にとっては3億年のスケールに相当する。これから、その場所に向かう。

写真展

10月 8th, 2011 § コメントは受け付けていません。 § permalink

今日から京都にあるHOTEL ANTEROOM KYOTOで僕の写真展を開催する。まさか自分の写真展を開催するなんて夢にも思っていなかった。小学校5年生の誕生日に親父に買ってもらったヤシカのカメラが一番最初のカメラとの出会い。当時、鉄道少年だった僕ははじめは電車ばかりとっていたんだけど、そのうち駅ばかり撮るようになった。国鉄(当時はJRじゃなくて国鉄ね)の駅が妙にごついのに、私鉄の駅はなんか家みたいだな。なんて、素朴に駅がそれぞれ違うことが面白かった。今よりもずっと現像やプリントに時間もお金もかかったけど、おふくろは「本と写真」については何も文句を言わずにお金を出してくれた。高校生になるとバンドに明け暮れたけど、なぜかギターケースにはカメラがいつも入っていた。時々忘れると「写るんです」をコンビニで買って持っていたほど、記念写真とか飲み会の写真とかを撮っていた。バンドのプロフィール写真を撮りに新宿二丁目でビートルズのマネをして横断歩道を渡る写真が今でも手元にある。写真雑誌で見る写真はなぜかあんまり好きじゃなかった。プロの撮る写真があまりにも自分とかけ離れていて、勝負できないとはなから逃げ出していたようなものだ。そうこうしているうちにニューヨークに渡って、映像の仕事をするようになっていた頃。週末のフリーマーケットでカメラをずらっと並べているおじさんに会った。どこか細身で筋肉質な体つきが親父に似ているイタリア人。安月給の僕にやたらとカメラを勧め、一台買った。ニューヨークの街を撮った。古本屋で見つけた「ウィリー・ロニの写真集」、日本人相手の雑貨店で見つけた「雑誌SWITCHのロバート・キャパの特集号」、仕事で行ったニューオリンズで見つけた「Elliott Erwittの写真集」。この三冊が僕の写真のバイブルになった。でも、所詮は趣味だから、とほとんど他人に見せること無く、ただ、ただ、撮っては現像してこれはいい、これはよくないと自分への批評を繰り返した。今では、親父やおふくろに写真を見せることはできなくなってしまった。きっと、ああだ、こうだ、と言いながら喜んでくれるに違いない。人様にお見せするほどではない写真展を開催することになって、僕は「本当は親父とおふくろに見せたかった写真」というチョイスをした10枚の展示と、おふくろに読ませたかった「作文」と聞かせたかった「CD」。僕を初めて映画に連れていってくれたのは親父だった。僕にはじめてのたくさんの本を読んでくれたのがおふくろだった。僕にはじめてレコードを買ってくれたのが親父だった。僕が今、何かを創作しようと考えるその出発点はまぎれもなく二人の存在だった。「京都に一度行ってみたい」と話したまま親孝行できなかった。僕はこの写真展はどうしても京都からはじめたかった。たくさんの人に見てもらいたいと素直に思う。たくさんの人たちにまたお世話になった。感謝の気持ちで一杯の今日、開催します。あと5分でオープンです。

面白いことを生み出して喜んでもらってそれで食べていければいい。

8月 10th, 2011 § コメントは受け付けていません。 § permalink

デザイナーの水野 学さん、古平 正義さん、平林 奈緒美さん、山田 英二さんの共著「SCHOOL OF DESIGN」の中の一節にこうある。「フリーランスに叱ってくれる上司はいない」。クライアントの苦言や親兄弟のお叱りがあったとしても仕事を前にした「育成の名のもとの叱り」は、なるほどそこには無いかもしれない。フリーランスになる、または独立して会社を起こす、というある種の一念発起も、大抵はどこかの企業にしばらく在籍して、そこで力を養ったり、人脈を拡げたりしてからアクションを起こす。そうしないと力強い一歩を踏み出せそうにないし、そもそも独立心も会社員のひとりとしてやっていた時に芽生えた野心が背中を押す。僕もいくつかの会社に従業員として在籍した経験をひっさげたし、周りを見回してもそのほとんどがそう。4年前、そんな独立のセオリーを軽ーく乗り越えて、僕の教え子が旗を揚げた。大学在籍時に会社をつくってしまった。彼らは会社員時代の人脈も、会社員時代の上司のお叱りもなく、自分たちの力を信じて出港した。まずはこの無鉄砲なまでの船出に拍手を送りたい。井口くん率いるtymote。Webを見れはその後の4年間の足跡は辿れるし、一部の人たちには言わずもがなの活動っぷりだ。その井口くんが金沢で講演をする。eAT Close College イート・クローズカレッジ( http://eatx.bp-musashi.jp/close/ )。本来の目的は若手にエールを贈るための講演である。しかし、僕にはそれだけに見えない。まずは就職して、その後、もしかしたら独立。なんていうちょっと生温いクリエイター独立の流れに一石を投じる活動の一端を覗かせていただける絶好のチャンスとみていい。つまり、すでにもう独立をして何年にもなるフリーランスや経営者にこそ聞いて欲しいと思える。(まだ、何を話すのかは知らないけれど(笑))。おそらく彼らのこの4年間はそれなりに厳しい戦いを続けてきたことは想像に易しい。このカレッジを主催するのも百戦錬磨の戦いを経て、今、金沢を盛り上げようと奮起するCENDO代表の宮田くん。選抜された講演者のラインナップを見るだけで「狙い」が見て取れるし、その嗅覚は鋭いと思う。大学生がその大学生活の半分以上に「就職活動」という時代遅れの活動に時間をとられていることを思うと、よっぽどこういう講演を聞いたほうがいいとさえ思う。いや、むしろ、そういう就職活動を進めている企業の人事部の方々や大学の就職課の担当の方々にも覗いてほしい。いや、大学生の親にも。就職活動に一喜一憂していることこそ、実は何の生産性もないことで、時代遅れだ。旧態然とした「就職」という寄らば大樹の陰的な発想はもうどこにもそのような手ぬるい空気が存在しない。就職にだって、この独立心のような野心が必要だ。この「上司のいなかった」彼らのような「現場」が今のクリエイションの世界共通の「面白いことを生み出す生産現場」であることは間違いがない。独立することとか会社員のままでやるとか本当はどうでもいいこと。独立する事は就職した会社がいやだったから、なんていう理由でできるほど甘いものではない。いつだってクリエイターやデザイナーは「面白いことを生み出して喜んでもらってそれで食べていく」ことがしたい。そして、面白いものが生み出されれば、国も言葉も、そして経歴や人脈も関係なく世界が注目する。そこに一直線に向かう姿勢の、そういう一端に触れる機会はそうそうない。

会社に戻ると相変わらず忙しそうにしながら「おかえりなさい」と言われた。

8月 7th, 2011 § コメントは受け付けていません。 § permalink

先週、とある講演の機会をいただいた。テーマは「クリエイター/デザイナーの評価について」。つまり、デザインをビジネスとする会社の経営のノウハウとしてのひとつの事例として僕の会社のことをお話する内容だった。僕自身経営の手腕があると自分では全く思えないので、はじめは丁重にお断り差し上げた。しかし、何度もお話をいただき、何かお役に立てればとお引き受けした。いつもとは勝手が違い、会場には明らかに僕より年上の経営者もしくはそれに近しい立場の方々が多く見受けられた。講演などで滅多に緊張しないのに珍しく緊張した。この講演は無料ではなく、それなりのお金を支払ってみなさんは聴きにいらっしゃっている。何か参考になるようなことを言わなければいけないかと思うとあまりに自分の経営のやり方の「システム」的なことの無さに焦ってしまったのだ。とはいえ会社をつくってから14年あまり、そういう「人事」とか「評価」を数値にしたり、システムとして仕組みをつくったりしてきたことがない。「そういうやり方もある」なんて少々開き直りの気持ちが必要な講演だった。僕の会社の最も大切にしていることは「家族」の気持ちだ。もちろん、社員のみんなは本当の家族ではないのだが、僕は家族だと心底思いながら毎日接している。スタッフが病気になったとき。スタッフが失敗したとき。給与を払っているアカの他人、とか、ギブアンドテイクの関係だとか、そうは思えない。完全に情が移っているし、ドライな気持ちで雇っている人なんていう風に思えない。それはもう仲間というより家族に近いのだ。若手のスタッフのやんちゃな言動は自分の息子が生意気を言っているように思えるし、歳が近い女性のスタッフは妹か姉のように思える。だから、会社の収益はどこか「家計」のようで、帳簿は「家計簿」のようだ。給与の考え方も年功序列の考え方が基本にあったりするし、そこには「年の功」に対しての尊重も大切にしている。甘い。なんてご指摘をいただくだろう。けれど14年続けてこれたのはまぎれもなくこうしてスタッフのどこか「思い」に支えられて、巣だっていったスタッフもつかず離れずの関係を続けていられる。きっと、これがこの会社のやり方なんだと思う。ふと周りを見渡すと、こんな町の商店のようなやり方の会社は少なくなったように思う。だから、この講演はむしろ珍しい事例として聴いてもらえるかもしれないと思ったのだ。僕はそんな家族経営をこれからも大切にしたい。会社は「頼れる場所」で、「いつでも帰れる場所」で、「団らんの場所」で、「ほっとする場所」でありたい。本当の家族の場所と会社の場所、両方とも「そこにいたい場所」でありたいと思う。そして、お互いの成長にニコニコしたりして二度と戻れない貴重な時間を過ごす。振り返ったとき、そこにはみんなの笑った顔を思い出せるような、そんな場所。会社っていいもんだといつまでも言っていたい。だから、自分たちのやり方、自分たちの朗らかに過ごせるやり方でいい。講演が終わって、会社に戻ると相変わらず忙しそうにしながら「おかえりなさい」と言われた。

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