時々、説得力。

デザインとは職業柄、無縁の友人と話していてふと「キッズケータイ」の話になりました。子供に持たせるのは賛成だとか反対だとか、「親トーク」でさんざん盛り上がった後にポロリと一言「このケータイをデザインした人は子供いないね。」気になったのでいろいろと聞いてみました。ずばり直感だそう。そういえば僕も似たような直感が働いたことがある。クルマを運転したことがない人が創ったように見えるクルマの映像。楽器を演奏したことがない人が創ったように聴こえる音楽。バイクを運転したことがない人がデザインしたようなバイクのWebサイト。ニューヨークに住んだことがない人が編集したように見えるニューヨーク特集の雑誌。いずれも調べてみると、当たっていた。それなりに入れ込んだモノには入れ込んだ人しかわからないであろう「視点」や「感覚」がある。マニュアルがあるわけでもなく、セオリーのようなものがたとえあったとしてもそれに従ったからといってこのハードルを超えられるわけではないように思える。説得力といってもいいかもしれません。友人が雑誌に掲載されていて、「お、やっと実現したか」と思ったりする場面も、思い返せばその話は5年以上も前に聞いていたり。その間、ずっとそれに没頭していたはずだ。寝ても覚めても「そのこと」を考えて世に出した時に現れる「説得力」。時々、そういう説得力をもったものを目にし、「負けてはいられない」と奮い起こされる。がしかし、反面、時々しか説得力を感じられないのも事実です。こんなに「デザイン」が溢れているというのに。そもそも説得力のかたまりだったのではないだろうか、デザインとは。と、自分に問いかけた。

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