デザインと時間

最近また鷲田清一さんの著書『「待つ」ということ』を読んでいます。あるブランド構築の仕事を進めている中で、映像やグラフィックやWebを駆使しながら、そういう「デザイン」を印象を作り上げる要素とした時に、「タイミング」「時間」のようなことを考えます。そのデザインを目にする瞬間のこと。とか、そのデザインを手にしてじっくりと読んでいただく時間のこと。など。例えばWebサイトを考える時、TOPページを表示する為に「待たされるローディングという時間」のことを考えるわけですね。一部ではこのローディングという部分をややエンターティンメント化する発想もあるようです。鷲田さんは著書の中でこうおっしゃっている。「みみっちいほど、せっかちになったのだろうか。せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、じつは未来を視野に入れていない。未来というものの訪れを待ち受けるということがなく、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待つというより迎えにゆくのだが、迎えようとしているのは未来ではない。ちょっと前に決めたことの結末である。」と。デザインとかブランド構築とかPRだとか広報だとか、何か他人に対して「印象を与える」ということにある意味、敬意を払い。かつ、その「時間」を考えてみる。ローディングという、「ひととき」にもスキをあたえず、やや強引に「印象を押し込める」ということがイコール、ブランドを訴求することではないはず。もっとじんわりと「やわらかく感じてもらう」ということはできないだろうか。僕はこれまで20年、映像というジャンルで「時間軸」というものと格闘してきました。20年という時間は今まで「20年も」と思い上がっていましたが、冷静に見つめると「20年しか」と言える。今、こうして「余白の時間」を少しは考えられるようになった年齢にさしかかり、デザインと時間というものの深い関係に思いを馳せています。50年もののウィスキーの広告など、軽々とデザインできないよなあ、なんて。「熟成の〜」なんていう言葉を自分の中からじんわりと発せられるのはいつになるだろうか。いつかこういう「自分が生きている時間よりも長い時間を経たもの」を印象づけるためのものをやってみたい。鷲田さんの著書を読ませていただきながら、自分の「熟成」を待っています。

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