やっかいな代物

三保谷硝子-101年目の試作展を見に行きました。僕自身、三保谷さんにお会いした事はないですが、とても思い出に残っているエピソードがひとつだけあります。今から16-7年前くらい。確か、ソニーとNHKの共同で倉俣史朗さんの作品集を開発が始まったばかりのハイビジョンの映像作品集にしたことがあります。狙いは「美しい作品を美しい映像で残す」ということだったのでしょう。開発した最高峰の映像技術でフルに活用するという。僕はアメリカ帰りの、しかも、ニューヨークのヒップホップのミュージックビデオばかり手がけていた頃、この映像作品の制作にアシスタントとしてお手伝いさせていただいた。正直、倉俣さんの作品に関わっている価値も、三保谷硝子さんの職人技に触れている価値も、よくわからないまま、どちらかといえば技術スタッフ側として倉俣さんの作品を何度も目にした。とにかく、ガラスの作品は映像側の人間にするとやっかいな代物でしかなかったのです。「奇麗」「透明」なそのものは撮影しようとすると反射の光やほんの少しのホコリが映り込んでしまう。石の作品などだったら、そんなに苦労も無く撮影できてしまうのですが、どうにもこうにもガラスを美しく撮影するというのは映像泣かせなものなのです。僕は当時、目の当たりにしているその価値にはとんと気付かずに、ただただ「やっかいな作品」としてしか見ていませんでした。もっといえば、きっとそんな映像技術がその「ガラス」というものにまだまだ負けていたんじゃないかと思う。あれから15年以上も経って「倉俣史朗」「三保谷硝子」という価値がようやくわかってきたなんともお恥ずかしい限りの輩です。会場にあったメッセージには三保谷さんの言葉で自分たちの存在を「黒子」と呼んでいた。黒子の職人として、実に気風のいい頑固な姿勢が伺えます。その姿勢、悔しいくらいかっこいいその様にあえて映像家として、その「やっかいな代物」をいつか美しくそれを映像にしてみたいと思いました。肉眼で見る硝子の作品達。価値が分からなくても、見ておいて損は無い。きっと、「見た」ということがエピソードになります。16年経って鳥肌が立つ僕のように。

Comments are closed.