自由研究の図鑑
土曜日, 7 11月 2009
たまにはド真ん中の映像のハナシ。本を書き始めました。というより、僕の雑考ノートのいくつかを整理しているだけなのですが。テーマの中心は、もちろん「モーショングラフィックス」。もう今や映像制作に関わっている人たちからすればヘタをすれば「死語」になりかかっているくらい当たり前な状況なのですが、ここでひとつ整理してみようと思っています。とかく、モーショングラフィックスは「文字を動かして映像にしたもの」とか「CGなどを駆使してグラフィカルにアニメーションする」ことを言っています。ん、間違いじゃないですし、その通りに違いないのです。僕は、実はちょっと違ってずーっとやってきました。それは「グラフィックをモーションすることではなく、モーションをグラフィックすること」なんです。簡単に言ってしまえば動きのデザインなのですが、そうですね、例えばヴィクター・パパネックの「地球のためのデザイン」という書籍には「biomotion」という言葉が出てきます。この言葉をヒントにして、モーショングラフィックを考察すると「もうすでに身の回りにある動き」という部分に気がつきますね。自動ドアの挙動みたいな人工的なものもあれば、雲の動きなんていう超ランダムな動きもあります。いくらプログラミングを駆使しても「雲の動き」のランダム性にはかなわないでしょう。そういった「動き」をグラフィカルにデザインする行為がモーショングラフィックスだと仮説立てています。僕は、ひとつの答えとして実は今月末からオンエアされる「坂の上の雲」のエンディングのタイトルバックに「モーショングラフィック」しています。「え? これがモーショングラフィック?」って言われてしまいそう(汗)。そこには「自然な動き」を「主観移動で」「心理描写」を加えて、削ぎ落とすだけ削ぎ落とした最小限の合成技術で表現したつもりです。つまり「表現」です。詳しいことはオンエア後に話すとして、モーショングラフィックスの大切な要素としての「心理描写」「biomotion」とテクニカルな要素としての「シンクロナイズ」や「カラーコレクション」など考えうるほぼ全ては投入しました。これがモーショングラフィックスの答えだというより、ひとつの整理として「定義づける」ことにしたのです。と、「坂の上の雲」のタイトルバックはちょっと置いておいて。こうして、こんな風に10年以上、モーショングラフィックスと格闘してきて少し見えてきたのが「時間」です。「動き」と「時間」の関連性です。冗談っぽく、前回の日記に「5分でつぶやけない量を5分おきにつぶやく」なんていうことを書きましたが、あえて、モーショングラフィックスを定義するとしたら「その映像の長さ(分や秒)、に想像を超えた情報量を連続したフレームに収め、定刻通りに終了する事で、印象として心理的に作用すること」と、なんだかこむずかしいことになってしまいます。だから、できるだけ、小学生にも分かる「モーショングラフィックスデザイン」の本にしたいと思っています。小学館の図鑑の「自由研究」みたいに(笑)。