ジーンズと結婚式の当たり前

先日、立て続けに結婚式にお呼ばれいただきました。式の最中、何度もうるうるしてしまった。本当に清々しい気持ちになる。お呼びいただいた式はいずれも「結婚式とはこういうものである」といういわば「当たり前」のもので、式の最中に何度も涙させられるような場面があったり、笑いがあったり、人生を考えさせられる場面があったり。一方で、列席する側も正装して、ご祝儀を用意して、と「ならでは」の形式美がある。話が変わって、一昨日にコム・デ・ギャルソンの川久保さんのインタビューがWebに掲載された。そこには「いいものは値段が高いのである」といういたって当たり前なことが論じられていた。この「当たり前」が何か貴重なことのようになってしまった。ジーンズが数百円で売られることは当たり前のことではない。消費者にだって、その数百円の価格を実現することの無茶が想像できる。その無茶の先には明るい未来が待っていないこともうすうす感じている。当たり前の形式の結婚式も、とても気持がいいものなのだが「お金がかかる」とか「ネット社会」みたいなことが当たり前の結婚式もバーチャルに済ますなんていうことになりやしないかと冷や冷やする。思いめぐらしていくと美意識とか形式美というものはそこに当たり前のようにあったものがいつの間にか姿を変えて、場合によっては存在すら危うくなっている気がしてならない。「そういう時はきちんと正装して」とか、「挨拶はこのように話すのが礼儀」とか、もっと言えば「ものには限度ってものがある」とか、「言っていいことと悪いことがある」とか、「それは言わない約束でしょ」とか。ジーンズの価格と結婚式は結びつくわけではないが、やはり、当たり前の形式美に触れて、生身の言葉や振る舞いに感動するのが人というものなんだなあとつくづく思う。当たり前じゃない安物のジーンズには何の未来も見当たらないが、当たり前な結婚式の先には清々しいほどの未来が感じられる。
追伸 : こんなご時世にあえて渋谷のど真ん中に路面店を出店するリーバイスの心意気。あっぱれだと思う。安さを売りにする日本のブランドは、このアメリカのブランドに「心意気」を見習って欲しいと思う。安売りを増長するプロモーション活動にはデザイナーとして加担したくはない。と心に誓う。

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