ひょうひょうと席巻してしまえ

大学や事務所で時々、後輩や学生達の言葉に少し考えさせられる。デザインの将来というモノに妙に閉塞感を感じてしまうのです。どこか、まるで、厳しい現実に直面して諦めのような空気がそこにある。「本当はこういうことをやってみたかったけど、無理っぽいし、今の時代は厳しいし、そこそこ生きていければいいかな」なんていう空気。僕自身は社会に出た瞬間は世の中はバブル経済真っただ中だった。「うわあ、社会ってすごいな」なんて毎日のように無邪気に思っていた。20歳そこそこの僕の目の前を何億円もかけたプロジェクトが横行し、自分の関わったものが何千人、何万人に一斉に発信された。ヘマもいっぱいしたし、ずいぶんまわりに迷惑もかけたけど、痛快だった。もちろん、今はWebを通じてこんな風に何万人に一斉に、なんていうことはかなり簡単になった。でもどうだろう。簡単に発信できるようになったデザインとかクリエイションとかをやりたいと思って、そして、それに関わって、そしてそれが完成した時に「やったー!」なんて無邪気に喜べる場面はどのくらい増えたのだろうか。むしろ、そんな喜ぶ姿を晒すことがちょっと恥ずかしいような雰囲気で、そして、どこかいつも「冷めていなくてはいけない」ような雰囲気すら感じる。何かこういう「楽しいデザイン」を難しくしなきゃいけないような空気を感じるときがある。今、学生で近い将来デザインとかで食べていこうとしている人や駆け出しの新人へ声を大にして言いたいことがある。30代、40代、50代のオッサンデザイナーを追いかけるな。もう彼らは過去の人だ。(ま、僕もそこにいるわけだが(汗) 小さくまとまらないで欲しい。経験がないから、だとか、しょぼい、だとか、やる気はあるのか、だとか言ってくるオッサンに耳を貸すな。やりたければ進んでしまえ。今、第一線にいる人は必ず落ちる、次のそのポジションを奪え、と。ひょうひょうと席巻してしまえ。オッサンデザイナーがデザイン賞を穫っているのを見るのはうんざりする。クリエイーターズファイルみたいな本に営業まがいに載っているオッサンもみっともない。そういうのは若手のステップのためにあるのだ。だから大いに遊んで、面白いデザインして、席巻してほしい。と。経験も浅くて、不器用だけれど、スゲーもん作っちゃった、なんていう感じ。それが痛快というものだ。もちろん、そんなオッサンな僕もいぶし銀のデザインを見せてやる(笑)

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