昭和歌謡ポップス

ここ3週間ほど昭和歌謡ポップスと格闘した。格闘したというのは大げさかな。元々このジャンルは大好きだ。僕のiTunesのライブラリーの3分の1はこのジャンルで占められている。あとの3分の1は映画のサウンドトラック、そしてその他、というまことに偏りのあるラインナップである。さて、そんな大好きな昭和歌謡ポップスにあらためて今度は自分が制作側として一曲つくろうと思ったのだ。なぜ「昭和」なのかといえば、やはり曲や歌のつくりの丁寧さに敬服するものがあるからだ。とにかく丁寧にものをつくっている。料理でいえば隠し味みたいなものが込められている。歌=作詞もしかり。韻や枕詞という手法もさることながら、情景描写や心理描写をとてもやさしい言葉で表現している。ノスタルジイで言っているわけではない。その丁寧さに憧れているのだ。今回、さすがに作曲はハードルが高すぎたので盟友の清川進也に託し、自身は作詞を。はじめはああでもない、こうでもない、と暗号のようなメモがノートに書き記されていった。今読み返してもほとんど解読不能である。清川氏からデモの曲が送られてきた。いよいよ歌詞をまとめなければいけないという場面になった時に、不思議なほどスラスラと書いた。およそ5分くらいの時間だったと思う。こういうことがたまに起きるからクリエイティブとは不思議な世界だと思う。そもそも昭和歌謡ポップスをつくるきっかけになっているのは僕自身が監督する短編映画の主題歌をつくろうということから始まっている。短編映画についてはまた折を見て書こうと思う。タイアップ(既存の音楽のプロモーションを兼ねた)などではなく、きちんと物語に沿って歌をつくる。「主題歌」。ああ、なんといい響きだろう。ある物語が存在して、そのテーマソングをつくる。映画を見たひとには「なるほど」と思うだろうし、そうじゃないひとは「この曲が主題歌になっている映画を見たい」なんて思ってくれることを願っている。ミュージックビデオや単独の音楽とはちょっと違う。もちろん映像と音楽の相乗効果みたいなことはオーソドックスなエンターテインメントの王道の手法である。ポップスというものにも王道の定義がある。「1-2回聞いただけで歌が耳に残る」「じーんとくる部分がある」「歌える」こんなところだろう。まっすぐで、飾りがなくて、みんなが歌えるような主題歌をつくりたいと始まった話。昨日、歌手の田添香菜美さんの録音を経て、あとはミックスダウンとマスタリングを残すのみ。もうすぐ完成しようとしている。手前味噌とはこのことだけれど、スタジオの帰り道、ずっと頭の中で曲が離れなかった。こういう歌に出会えるのはなかなかないと思う。もうすぐみなさんにお届けすることができる。iTunes Storeで。

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