監督の気持ち

奇跡のような街ヴェニスで数日を過ごしたあと、後ろ髪をひかれるような想いで列車に乗ってフィレンツェへと向かう。飛行機とはまた趣をかえて、それはそれはのんびりとして牧歌的な旅になるだろうと思いきや、イタリアの列車の旅は想像していたものとは違って、車窓はトンネルと防音壁の連続、乗り心地がよくて300km/hくらいで走る最新鋭の移動手段であった。あっという間に目的地に着いて、その目的である映画祭へとたどり着いた。フィレンツェで開催する映画祭へ。映画祭というものはごくたまにテレビのニュースで有名な映画監督が壇上でトロフィーを高々とあげて、フラッシュを浴びながら「この作品はですね..」なんていう場面を見ていたものだ。遠い存在で、どちらかといえば見る側だったのだけれども、今回は映画監督!なんていう立場でお招きをいただくことになった。はしゃいだ自分はせっかくイタリアに行くのにもったいない、だなんて周囲の迷惑を顧みず、ローマ、ヴェネツェアという遠回りをしてフィレンツェに来た。映画祭に招待されたといううきうき感を、まるで最後までとっておいた大好きなおかずのようにして、1週間かけてイタリアを堪能してから会場へと赴いたというわけである。海外の映画祭はボクのような新参者にもすこぶる優しく受け入れてくれる。短篇映画を1本しか撮っていないのにもかかわらず、である。日本からはるばるやってきた映画監督というのはそれだけで珍しいのである。そしてやってきた舞台挨拶という大仕事。やっとの思いで憶えたイタリア語「グラッチェ! ベル、インヴィート!(お招きいただいてどうもありがとう、という意味。たぶん)」通訳さんに助けられながら自分でも何をしゃべっているのかわからないくらいの興奮が突風のように過ぎ去った後、自身の映画が上映される。5分くらい過ぎた頃、正気に戻りつつある中で、それはじわじわとやってきた。海外の映画祭で自身の作品が上映される時の映画監督の気持ち、というヤツである。翻訳された字幕は当然のごとく、わからない。日本にしか通じないだろうと思える洒落ごとや若者コトバ。イタリア語に翻訳されるなんて考えてもみなかった自分への大いなる猛省。刻一刻と迫る自分なりの見どころ。目をつぶって、耳をふさいで、ごめんなさい!今日はお腹が痛くなっちゃったのでまたにしてもらえませんか?なんて逃げ出したい気持ち。
きた、この場面を過ぎたら、音楽が鳴りはじめてクライマックスなのだ、と思いながら、自分でも見入っていた。15世紀に作られた劇場の大きなスクリーンに自分の監督した映画が流れている。まず、そこに感動してしまった。おそらく観客のみなさんとまるで違う点で映画を見ていた。涙が溢れてきた。そこで驚いた。会場からすすり泣きの声が聴こえるのだ。しかもひとりやふたりではない。耳を疑った。疑ってはいけないのだけれど、疑った。そして、エンドロール。自分の名前が大きく映し出されている。フワッと会場が明るくなるのとほぼ同時に大拍手に包まれた。また、涙が出た。監督が泣くなんてみっともないな、と思ってしまって急いでシャツの袖でぬぐい、壇上で再度招かれて上った。スポットライトがまぶしくて観客のみなさんがよく見えなかった。けれど、拍手の数でだいたいわかる。ボクのような無名の映画監督に拍手を送っていただいている。そしてまたわかった。
これだから映像づくりはやめられなくなるのである。

月刊「Mac Fan」連載 “写真と文”より

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