ものづくりバカ

スティーブ・ジョブズが残してくれたものの大きなひとつにキーノート・スピーチがある。今ではTEDなど、プレゼンテーションそのものがショーになって、それをみんなで聴いて「うん、うん」と楽しむほどになった。自身はついつい、職業病のようにまるでイベントの主催者のような気持ちでそれらを見てしまう。あ、スライドの作り方がうまいなあ、とか、言葉の選び方が絶妙だなあ、なんていう具合に。そして、少しずつその舞台に違和感を覚え始めた。その違和感はしごく素直なものだ。「話が上手すぎる」と。またここで昭和的職人気質のものづくりの姿勢、うんぬん、を持ち出すわけではないけど、ボクの中での「ものをつくっているひと像」というのはそれはそれは不器用なひとのイメージだ。会話はしどろもどろ、敬語や丁寧語もイマイチ。得意な分野の質問に対しては堰を切ったように専門用語を駆使して唾を飛ばしながらマシンガン・トークをする。そんなイメージがある。ここ数年で爆発的に増えた感のあるスピーチを見る(ん、聴く?かな) 場面で、はじめのうちはつまらなそうな題材を、楽しく魅せてくれているということに新鮮さを感じたりもした。舞台は年々アップデートし、大きなスクリーンに洗練されたスライド、映像、照明。さながらアーティストのライブのステージのようだ。見終わった後、たしかに「ああ、楽しかった」という感想が残る。しかし、しかしだ。ボクには残ってしまったのだ。違和感が。不器用さ、はどこへいってしまったの? ああ、不器用なものが見たいんだよ!と。冷静になってみれば、歴史の中の名スピーチと言われるものはたくさんある。リンカーン、キング牧師、などなど。そのラインナップにスティーブ・ジョブズが入っていても納得。それらを見てみると、決して上手ではない。むしろ不器用なくらい無防備に言葉を発しているように思う。きっと感じている違和感の種は「本心かどうか」だ。おそらくはそのひとの発する言葉とはこれまでに蓄積してきた本人が選んで残しておいた言葉のはずだ。それを無意識に近く、高揚しながら発している。もともとひとはそんなに器用じゃない。どこかが優れていてもどこかが抜けている。ものをつくる職業を天職としてやっているひとはなおさら不器用でもおかしくはない。「それしかできないひと」として価値を発揮しているからだ。だから不器用な言葉を発し、しかしそれに聴衆は感激する。見回せばクリエイターやデザイナーがたくさんの本を執筆している。隙がないほどに洗練された言葉とともに、世界観へと導いていく。たしかに美しい言葉だったりするし、いやな思いをするような言葉は見当たらない。しかし、純朴ではない。どこかに計算や戦略を感じてしまう。ズバリ言えば、計算ではひとに響かないんだと思う。
ものづくりバカは、不器用でいい。不器用バンザイ!なんだ。

月刊「Mac Fan」連載 “写真と文”より

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