おーい、みんなー!

会社のミーティングでスタッフからふとひとつの疑問が投げかけられた。

「よくみんなって言いますよね。あの『みんな』っていうのに自分も入っているのかどうか、気になるんですよね」

わたしは入ってるかも。いや自分は入れてないなあ。と即座にみんなが話しはじめた。自分もそこからぶわーっと脳みそが働き始めた。確かにそうだ。みんな、皆んな、皆様…。すかさず海外生活が長かったスタッフが英語の言葉を解説した。英語の”Everybody”には自分は入っていない、はず。もし入れるとしたら”Everybody include me.”とか言うはずじゃないか、と。なるほど、なるほど。言葉にもお国柄がしっかりでるよなあ、なんて関心しきり。それは何人なのか、どこからどこまでの人たちのことを指すのか、なんていうことはおかまいなしにとりあえず一旦くくるかたちで言ったりしている、それが「みんな」。記憶を辿っていけば小さい頃にお母さんや幼稚園の先生から「みんなで一緒に!」とか「みんなで力を合わせて!」なあんて掛け声ですっかりみんなの一員として刷り込まれてきたように思う。学校のクラス、学年、性別、同じ生まれ故郷、会社、国と、どこかでそのくくりの一員になっていることで安心したり、一方で自らそのくくりからはずれたりした時はアウトローになったような自分に酔っていたりして。すっかり40すぎなのに同じ学年だよねー。って同い年のやつを学年でいつまでもくくってたりして。そんな『みんな感』はすっかりオッさんになった今でも大して深く考えずにきている。落ち着いて見回せばこれっていろんな角度から日々論議されていることだよね。いつのまにかインターネットってこういうもんじゃないか、と思ったりしていた。そこで、ある旅のシーンを想像した。ふと見知らぬ場所に行く。はじめは行きたくて行ってみたけど、想像とはまったく違ったへき地のようなところ。動物すらいないそんな本格的に人っ子ひとりいない場所に突然身を置いたりするとおそらく寂しすぎてどうかしてしまう。少なくとも僕はそうだ。目の前には川が流れていて、よく見ると対岸には大勢の顔見知りがいて、そこに向かって「おーい、みんなー!」なんて叫んでみる。そして何人かが手を振ってくれていることで急に安心したりして。そしたら、今度は船に乗って何人かがこっちへ渡ってきてくれた。もう涙が出るほど嬉しい。そして、何人かで「みんなで家をつくろうぜ」なあんてはじまる。一軒、また一軒、集落になって、どんどんその場所は村になって、街になって。月日は流れ、そうしてまた、どこかに行きたくなってくる。なんていう想像。自分がみんなの中に入っているかどうか、ころころ変わってる気がするな。勝手だな。ああ、「みんな」ってすげえめんどくさい。でも、ほっとするな。

月刊「Mac Fan」連載 “写真と文”より

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