目は口ほどに物を云う

今ボクは大学で教授をやっている。何足のわらじになっているのかわからないが、兼業である。会社の社長だったりもする。そして今や大学の教授たちの中に社長と兼業の方々も少なくない。大学で顔を合わせるとしばしば、その社長としての顔での話題になる。大学の教授であって、かつ会社の社長ともなれば、世間からしたらさぞかし立派な会社に違いない、なあんて思われそうでかなりハードルが高そうなイメージだ。(いやいや、実のところは結構白鳥のそれのように人目に触れない水面下では足をバタバタさせてるんだけどね) 毎年のことなんだけど、3月の終わりごろになるとその社長たちから新人の採用についての話題にスポットが当たる。簡単に言えば「どうやっていい人材を見極めているのか」というハナシだ。筆記試験を経て面接、というお決まりのパターンもあれば、プレゼンテーションをしてもらってそれで判断する、というのもある。かくいうボクは「目」と話した。会って、目を見て、3秒で決める。自分で言うのもなんなのだけど、時代を超越したなんとも男気あふれるがっつり昭和なやり方である。理屈としてはこうだ。作品集はほとんどあてにならない。だって、ひとりで作ったかどうかはもうわからないし。履歴書もそうだ。ほんとうはどんだけ失敗して、それを克服したかを知りたいけれど、失敗したことを列挙した履歴書を書く人なんていない。判断材料にFacebookやらTwitterなんかをチェックするなんていうのは小賢しい。ボクだって、そんなの見られたら大抵のところは落ちるはずだ。そうして行き着いた「目を見る」ということ。そして、これを実践していたらハズレがなかったこと。もはやこれしかない、のだ。目は口ほどに物を云う、とはよく言ったものだ。話はそれるかもしれないが映像の絵コンテを描く時。人物の目を描くのがボクにとって一番難しい。たまにどんよりとした気分になっている時、自分の顔を見ると、目が死んでいる。スポーツの場面なんかでもよく言う。「昨シーズンとは目つきが違いますね」なんて。こんな風にその人の状況やらモチベーションやらを目はシグナルとして発していると思えてしかたがない。そしてそれを信じて実践しているというわけだ。しかし、そうやって新人を見極めているというと必ずと言っていいほど「え?」となる。大丈夫か?と心配されたりもする。これはプログラミングや分析なんかじゃあできない。うふふ。心配ご無用。この成果は10年後に出るのだ。うちの若い衆たちは大声で自慢したいくらいいい目が揃っている。

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