「待つ」というデザイン

久しぶりにいい本に巡り会えて、ただでさえ睡眠不足なのに一晩で読んでしまいました。鷲田清一さんの著書「待つということ」。タイトルにも惹かれたのですが、まえがきを読んで、いてもたってもいられないほど読みたい気持ちになりました。そのまえがきにはこうあります。「待たない社会、待てない社会になった。みみっちいほど、せっかちになったのだろうか。せっかちは、息せききって現在を駆り、未来に向けて深い前傾姿勢をとっているようにみえて、じつは未来を視野に入れていない。」強烈な言葉。まるで自分の悶々としたものを鷲田さんが汲み取っていただいてるかのようでした。日々、いろいろなデザインを生業としていてデザインにとって「待つ」ということは必要なひとつのプレゼンテーションの要素だと自身も思っています。例えばWebサイトのデザイン、データ量の多いデザインを見せるために「Loading」というプロセスを経ます。クライアントの大半はこの「Loading」というものを出来るだけ短く、つまり、可能な限り素早く内容を見せるための工夫をデザイナーに期待します。僕は常々ここに「期待感」「ワクワク」という「待ちわびる演出」というものを考えます。それは単にLoadingの画面をアニメーションで面白くするということではない、何か、「時間というもの」を演出する方法を考えているということだと自分なりに思います。映像のクリエーションに関してもこれまで「オープニング映像」というものにややこだわって創ってきました。「予感」や「期待」、ともすれば「じれったい」という感情が導きだす「幸せ感」というものを映像を創る上で演出してみたいと思っていたからです。今も進行中ですがこれまでいくつも携帯電話の「スタートアップ画面」というものを手がけました。エンジニアの方からすれば電源ボタンを押した後に流れる数秒の映像は「できれば無い方がいいモノ」としての存在です。やはりここには「ワクワク」という感覚を演出するというクリエイションが存在します。企画書を書く時にはやはりいつも「イントロ」に気を使います。話をしながら一枚一枚めくっていくことに情感というものが生まれて、結果として良質のデザインに辿り着く。いつからか音楽もサビしか聞かせない、とか、ダイジェストなんていうのも増えてしまいました。まえのめりになった姿勢からは情感というものは生み出されないと思っていた所にこの鷲田さんの著書。それこそ、まえのめりになりながら読んだ良書に何かこれからデザイナーとしてやるべきことを教えられたような気持ちです。

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